💁♀️カオリ「ねえ、なんでそんなにブログ続いてるの?」
👨シュンタ「正直、自分でもびっくりしてる」
💁♀️カオリ「まさか…収益?」
👨シュンタ「いや、それが違うんよ。“頭の整理”がクセになってきた」
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最初は軽い気持ちだった。
「どうせ三日坊主になるかな」と思ってたし、
正直そんなに自信もなかった。
でも、気づけばもう何十本も積み上がってる。
続いてる理由は、やってみて初めてわかった“感覚的な心地よさ”にあった。
始めた理由は“未来のため”だった
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僕がこのブログを始めたきっかけは、完全に「未来の自分のため」だった。
- セミリタイアに向けた資産や思考の記録
- 家づくりで悩んだ選択と判断の積み上げ
- 共働き・子育てというリアルな日常を、ちゃんと残しておきたかった
「情報として残す」「判断の軌跡を記録する」そんな目的で始めたはずだった。
でも──書き続けていくうちに、“今の自分”が整ってきた感覚が出てきた。
続けたことで見えてきた“変化”
👨シュンタ「なんかさ、書いてると頭の中が整ってくるんだよな」
💁♀️カオリ「わかる。うちの考え方ってこうだよね〜って、自然に言えるようになってきた」
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始めたころは、「これは誰かの役に立つだろうか」とか、
「ちゃんと読んでもらえるのか」なんて考えてた。
でも今は、それよりも「書くことで自分の考えが整理される」ことの方が大きい。
- モヤモヤしてた感覚が、言葉になる
- 夫婦の価値観が記事を通じて共有される
- SNSや他人の声に流されず、自分の軸が育つ感覚
思ってた以上に、“言語化すること”が自分の心と暮らしに効いてきた。
収益じゃない、でも確かな価値
💁♀️カオリ「ところで…このブログ、いま収益どれくらい?」
👨シュンタ「え、ほぼゼロだけど?」
💁♀️カオリ「正直でよろしい」
👨シュンタ「でも“積み上がってる”って感覚はちゃんとあるんよ」
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アクセス数や収益だけ見たら、まだまだ駆け出し。
バズったわけでも、フォロワーが何千人いるわけでもない。
でも、記事を書き終えたあとのスッキリ感や、
「あ、これ残してよかったな」って思える記録は、
それ自体が**未来の自分への“贈り物”**みたいなもの。
誰かの役に立てたら、それは“ごほうび”
💁♀️カオリ「記事ってさ、自分のために書いてても…誰かに届くと嬉しくなるよね」
👨シュンタ「うん。“人のために書いてます!”とか言えないけど…伝わったら、それはごほうび」
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このブログは、まずは“自分たちの記録”のために書いてる。
でもときどき、誰かから「うちもそうです」とか「参考になりました」って言葉をもらえることがある。
それだけで、「書いててよかったな」って思える。
言葉にして積み上げたものが、
誰かの暮らしのどこかと少しだけつながる——
それが、ブログを続けるモチベーションになってる。
我が家がブログを続ける理由、もう少しだけ
👨「最初は未来の記録のつもりだったけど、書いてたら“今の自分”が整ってきたな」
💁♀️「うん。ブログって、“ちょっとした自己メンテナンス”かもね」
🤖ピー助「“積み重ねた言葉”って、未来の自分を助けてくれるんでぴ」
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